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続・U設計室web diary

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2008年 12月 25日

建築家 大江新太郎

大江新太郎は明治時代の建築家。東大の建築科を卒業後日光廟の大修理に参加して以降
ほとんど寺社建築の設計に従事し、代表作は明治神宮宝物殿。
千駄ヶ谷の国立能楽堂の設計で知られる建築家大江宏は息子です。

そんな大江新太郎が大正初めに設計した住宅を見る機会を得ました。
しかも場所はなんと都立深沢高校の校庭内。
建築史の研究者からも最近までその存在を知られずにいた建築です。
実は元「ワカモト」社長の長尾欽彌・よね夫妻の大邸宅の一部が
数奇な運命の末に都立高校の校庭の片隅に奇跡的にひっそりと残り
茶道を教える場所として今も大切に使われているのでした。
(長尾よねという人は巨額な富を築き、しかも一代でその富を使い切った
また政財界におよぶその交友の広さで「女傑」と称された人なのだそうです)
建築家 大江新太郎_c0016913_12333579.jpg




建築家 大江新太郎_c0016913_12342241.jpg

橋を渡って本屋に向かう


清明亭と呼ばれるこの建築は、京都の清水寺のような懸崖造り。
能舞台の橋がかりのように橋を渡って本屋に渡っていきます。
内部は和風と洋風そして印度風と言っていいのか不思議なデザインが混在しています。
この建物を見て、
息子の大江宏が「混在併存」をデザインモチーフとして標榜していたのは
父親・新太郎の影響がとても大きかったのだと確信しました。

この建物には和室、書斎、応接室、そしておそらく
「よね」の収集した夥しい美術品の一部が保管されていたのであろう堅牢な地下室や、
秘密の抜け穴ような細い通路もあり、とても不思議な建物です。
歴史の一場面を彩るいろいろな場面に遭遇しただろうこの建築が、
もしも人間のようにしゃべれたら様々なことを話したいだろうなあなんて
変な事を考えてさせてしまう建築でもあります。
でも長い年月を経て、女子高生にお茶を教える場所として、また学校のシンボルとして
穏やかな晩年?を送れているのはこの建築にとって幸せなことですね。

そして、こういった古い建築が点在する街は、街に歴史の厚みを与え
そこに住む人だけでなく散歩者にとっても、とても楽しいものになりますね。

by u-och | 2008-12-25 12:50 | Architecture | Trackback | Comments(0)


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