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続・U設計室web diary

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2013年 10月 07日

新国立競技場

新しい新国立競技場が巷で話題になっています。
デザインの好みの話は別としてあの巨大建築がそもそも必要なのか?
という切り口での疑問です。
建築界で口火を切ったのは
日本(世界)を代表する建築家の一人槇文彦氏
神宮外苑の景観保全の観点から
また都市に建築をつくる景観の作法から
そして、オリンピック以降の巨大な維持管理費の問題から
一部の官僚がつくったコンペ要項の8万人収容の常設競技場が
そもそも必要なのか?という問題提起です。





建設予定地は風致地区に指定され厳しく建坪率や高さが規定されている。
それを超超法規的特例で極端に緩和され、
コンペにあたってのプログラムが出来上がったということです。

千駄ヶ谷駅前にある東京都体育館は
敷地面積:4.5ha,
観客席数:8.000人

丹下健三の傑作の一つ国立代々木競技場は
敷地面積:9.1ha
観客数:15.000人

それに対し新国立競技場のコンペプログラムは
敷地面積:11ha
観客数:80.000人

プログラムによれば
新国立競技場の総床面積は29万㎡になり
国立代々木競技場の8倍、
そして現在もてあまし気味の東京国際フォーラムの2倍を超す巨大さです。

槇文彦氏はプログラム作成がお上が一方的につくったもので
それを市民がジャッジできない日本のあり方を批判しています
「この巨大で、様々な複合施設を維持していく上で必要なエネルギーの消費量,管理に必要な人件費、
それらを賄う収入の見通しと、その見通しを支える将来の市場性等について、
この施設運営者は都民に対して充分な説明責任があるのではないだろうか?
何故ならばその可否は都民が将来支払う税に密接に関わり合っているからである。
 さらに重要なことは、
濃密な歴史を持つ風致地区になぜこのような巨大な施設がつくられなければならないのか、
その倫理性についてである。
そして、その説明は現在の我々、将来の都民だけでなく、大正の市民にまで及ばなければならない。
何故ならば、神宮外苑、内縁の造型には,当時唯一の言論のメディアであった新聞を含めて、
国民、市民の意見も活発に反映されていたからである。
 その造営は単に一群の識者によって施工されたものではない。」

では、どのような進め方が考えられるのか?
槇文彦氏は
「まず、新しいプログラム作りを提案したい。
第一に50年後の東京のこの地域にふさわしいスケールと内容をもった施設。
第二に17日間の祭典を充分満足する機能を持った施設であることが求められる。」
その上で
「8万人収容の規模を持つことが最近の一つの標準であるのならば,
それを満足する必要があるが,同じ規模のものが,恒久的に居座る必要はない」
「この狭小な敷地と地域の特性を考えた時には,今より大きくない方がよい。
そのためには恒久施設は5.5万人を収容し,仮設のスタンドで2.5万人を収容すればいいのではないか?
当然全天候式ではなくなる。」
そして、
「絵画館前の広場を大正15年に完成した当時のデザインに戻すことを強く提案したい。
西側の建物を撤去し、もしも駐車場が必要とあれば地下駐車場を設ければよい。
大正12年の関東大震災では7万人あまりの尊い人命が失われた。
その頃造営に着手していたこの絵画館と前庭の計画は、その3年後に完成する。
私は冒頭「歴史的遺産として貴重」という言葉を引用したが,
更にここの歴史を振り返るとき、それは大震災で亡くなられた人々に対する鎮魂のみちにも見えてくる。
 それが平成の都民が未来の都民に対して、また大正の市民に対するささやかな贈り物なのではないだろうか。」と述べています。

この計画案はまだ初期段階です。
槇文彦氏が述べているように
なるべく早くプログラムを根本的に見直すべきだと思います。
オリンピックの終わった後も、
末永くみんなに愛され、
維持管理し、使い続けられるものでなくてはいけないのですから。

by u-och | 2013-10-07 14:15 | Architecture | Trackback | Comments(0)


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