2018年 12月 14日
春風亭一之輔の独演会に行ってきました。 落語の演題は通常事前予告はないので 聴いて初めてあーこの演題かと判るのです。 今回の締めの噺はこの季節らしい「芝浜」でした。 「芝浜」は立川談志の十八番で、僕も30年ほど前に 一度だけ聴いたことがある。凄かった。 上手いを超えて凄い!と心底思った。 (なんか知ったようなこと言ってますね) 立川志の輔の年末の落語は「歓喜の歌」だし、 立川一門は師匠の十八番には敬して接せずというスタンスなのかな。 さて、一之輔の芝浜はと言うと 初めは「あれ?」と思った滑り出しだったのです。 魚屋が朝早く女房に起こされて 芝の浜で顔を洗って煙草を吸って、偶然革の財布を見つけるシーンが ごっそりカットされていたのです。あれれ・・・ そのシーンのかわりに、魚屋が家に慌てて帰って、 女房にいきさつを話すことで 聴衆も事の顛末を知ることになる。 でもそこには一之輔の一味違った工夫があったのです。 財布を女房に預け、昨晩の残りの酒を飲んで寝てしまう魚屋。 再び女房に起こされて、「風呂に行ってくらあ」と出て行き 帰りには友達連中を家に連れてきて、酒肴を注文して家で大宴会。 そして、またそのまま寝てしまう魚屋。 再び女房に起こされて、 財布を拾ったのは夢じゃないのかと女房に言われるシーンでは、 芝浜で顔を洗い、財布を拾う具体的な描写がカットされているので 聴衆もほんとうに「夢の話」だったのではないかと錯覚を覚えてしまうのだ。 談志の「芝浜」では聴衆は、「財布を拾ったのは夢」と 女房が嘘をついているのは判っているのに対し、 一の輔の「芝浜」は聴衆も、「財布を拾ったのは夢の話だったのかな」と 疑問に思えるような展開の仕方なのだ。 ラスト近くの 「除夜の鐘を飲んで酒が飲めるなんざあ、夢のような話だな」という セリフがあって、 オチの「あ、よそう。また夢になるといけねえ」が更に効いてくるという仕掛け。 魚屋の混乱と自分に対する情けなさ。女房の思いやりとけなげさ。 久々に落語に感動してしまったのです。 一の輔は「この噺、ほんとは好きじゃないんです。 酒好きがこんなに簡単に酒をやめられるかなあって思って」と言っていたが 拾った財布の大金を頼りに、 働かないで楽して生きようと思った自分に対して、 しかも拾ったと思った財布が夢だったと知った時の 自分に対する情けなさと混乱と不安。 そんな情けなさと大いなる不安を断ち切るために一生懸命働く。 だからきっぱりと酒を断てたんだと思いますね。ボカあ。 志の輔も昇太も面白いけど、一之輔もよいです。 *写真は芝浜ならぬ西浜(修学院離宮)
by u-och
| 2018-12-14 16:02
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